うつくしいひと 月





私は大きな花を育てていた。子供の頃にワタリからもらった球根で、それはとても大きかった。人の頭ほどもある球根を、私は大きな鉢に入れて水をやり、肥料をやった。
花が咲くまで二十年近くかかるというその球根を育てて十七年間、ひたすらその植物の手入れをしてきた。
今はチューリップのような葉が幾重にも重なるように、花芽を包んでいる。百合の蕾を思わせる大きな葉の繭の様だった。
愛をこめて、ゆっくりゆっくり大きくなれと時折声をかける。
そうするとさわさわと葉が揺れ動く気がするのだ。
私はすっかりその植物に夢中になり、月の夜に花が開くとワタリがいうので月と書いてライトと名をつけて慈しんだ。雌雄のある植物だそうで、これは雄の花だとワタリは言った。だから私は月くん、と呼ぶことにした。
背丈も随分と高かった。鉢を入れると私の背丈を遙か超え、二メートル程もある。その中に花蕾が少し見えている。美しい立ち姿はなんとも心惹かれるもので、私はより一層花を大事にした。
「月くん、今日も綺麗ですね、蕾が見えてきましたね……月くん……月くん」
花が咲く時は葉が一斉に外に開き、茎と花が姿を見せると聞いていた。
その時はいつかわからないけれど、私は花が咲くのを心待ちにしながら花の手入れを怠らなかった。
「もうじき花が咲きますね」
とワタリが言う。もうじきとはいつのことだろう。蕾も固く、まだ少しも開いていない。花蕾が見え始めると二年以内に花が咲くそうだ。花の命は長く、一度咲いたら人間とほぼ変わらない一生を生き、色を変え、形を変えて様々に変化すると聞いた。
二年。十七年世話をしてきた花ならば長くもあり短くもある時間だった。
「月くん、月くん、花が咲くときは私が一緒に居ますからね。ゆっくり美しく咲いて下さいね」
美しいその植物を、私は愛をこめて世話をする。
「月くん、綺麗ですね、愛していますよ……何よりも」
私は人間よりもその花に全ての愛を注いでいた。
人間よりも余程この花のほうが美しい。立ち姿が凛としていて、その葉が一斉に開いて花が咲く様を考えると私は背中がぞくぞくするほどに楽しみに感じてしまうのだ。
暑い夏も寒い冬も、快適な温度を保ち、毎日水をやり話しかける。
「月くん、今日は仕事が忙しいです」
「月くん、今日は貴方と過ごします」
「月くん、何よりも愛していますよ」
毎日話しかける。
私は寡黙な方だが月の前では色々な話をした。
さわさわと葉が呼応する。
私の名を呼ぶように、さわさわと。
その度に私は堪らない心地になった。ああ、この花が咲いたらどんなに美しいだろう。美しくなくとも構わない。私はこの花を愛している。これだけ私と時間を共にした物はきっとひとつも無いだろう。
何よりも、誰よりも私の事を理解してくれる、世界にたった一つの存在なのだから。
私は時間をかけてこの花の手入れをする。
虫がついてはいけないし、葉が萎れてもいけない。肥料はきちんと適したものを選び、何よりも誰よりも大事にした。
ああ、早く花が咲かないものか。
いや、でも二年、私は待ち続けることができる。

ある晩、私は月の側でうとうととうたた寝をしていた。
椅子に腰掛けたまま背もたれに丸まって寄りかかっていた。
今宵は満月。私は若干明るい月の光のなか柔らかい光に包まれていた。
するとどうだろう、しゅるしゅると音が聞こえる。音は月の方から聞こえてくる。私ははっとして飛び起きて月の側に駆け寄った。
葉がジワリジワリと開いていく。
中から発光するかのように、一番外側の緑色の葉が開くと、中から薄緑の葉が今度はゆっくりと開きだす。段々色素がなくなっていき、最後の一枚が虹のような色で開ききった。
驚くべきことに、花芯には一人の男性が包まれていた。
見目麗しく、驚くべき美貌の青年がすくと立っていた。
言葉を失っていると、裸の青年が鉢からゆっくりを降りてくる。私はああ、彼を待っていたのだと瞬時に悟り、月くんと小さく呼んだ。

「エル、エル、僕だよ。月だよ。お前が世話を丹念にしてくれたから、僕はこうやってお前の前に姿を現すことができた。ありがとう……エル」
美しい声に聞き入っていると
「エル?驚かせてしまったかな?お前のことならなんでも知ってるよ。エルは僕にたくさんの事を教えてくれただから僕もお前と同じくらいに知識がある」
「……月くん」
私は漸く彼の元に寄り添い、ふと肌に触れてみた。
それは間違いなく人間で、暖かかった。
「今日は満月。漸くお前と会えたね」
こくんと頷くと、月が
「こんな僕は嫌いかい?僕はお前を愛しているよ」
くらりと目眩を感じるほどに私は歓喜に満ち、月にすがってその肌をぎゅうと抱きしめた。
「愛しています……月くん……愛しています」
何より私には彼しかいなかったのだから。
暫く抱き合っていたが、今は二月も末、ひゅうと冷たい空気が入ってきて月がブルリと震えた。
「何か着るものはある?」
裸の月は苦笑して私に聞いた。
似合わないけれど、私が履いているデニムとTシャツをとりあえず手渡した。
「これで寒くないなんて……エルは変わり者だね……ふふ。でもずっとこの格好だったのはちゃんと見て知っているよ」
にこりと笑うとまたくらりと目眩がする。
私は一層この月の事が好きになってしまった。
「明日ワタリに言って貴方に似合う服を用意させます。私と同じ格好では貴方の美貌が勿体無いから……」
「ふふ、僕はなんでも構わないけれどね」



翌日ワタリは
「とうとう咲きましたか……満足できましたか?エル」
そう訪ねてきた。
「とても……それより彼の服を用意してくれと言ったが?」
「もちろん用意してありますよ。エル」
上品な質のいいニットやシャツやズボンと靴、それに防寒具を渡され、私はいたく満足した。これなら月の美貌を損ねはしないだろうと。
実際月に渡して着させてみると、生来の美貌を一段と輝かせ、一人の人間として誰をも魅了しそうな外見になった。
「月くん、とても素敵です」
「ありがとう。エルはとてもかわいらしいね……愛してるよ」
私を慈しむ声が嬉しくて有頂天になる。
「月くんはとても美しいです。私には不釣り合いでしょうか……もっと外に出たいとおもいますか?」
「僕にはお前がいれば十分だよ。それに、美しく生まれて来られたのはお前が丁寧に世話してくれたからだよ。同じ球根でも大事にされないと醜く生まれてくるものだから」
そう言われてくらくらする。
私は月にぞっこんだった。
抱きしめられる温度も、美しい声色も、優しい仕草も、全て私が世話したためと言ってくれた。私はそれで酷く満足だった。

それからというもの、月が私の話し相手だった。
世界の情勢や、今まで使っていなかった言語、それに仕事の話もすこしずつ。
月は物覚えがよく大変頭が良かったのであっという間に吸収する。
今まで私と対等に話ができる人間はいなかったので、それがとても嬉しかった。
食事も人間と同じもので良く、完全に一人の人間として完成されていた。
私は甘いものしか食べないが、月は普通の食事を好んだ。なので調理師に一人分多く作ってくれと頼んだ。月は私だけの秘密にしておきたい。けれど自慢もしたくてたまらなかった。

ある日私はとうとう誘惑に負けて月に防寒具を着せて外を散歩することにした。
眩しい美貌に誰もが釘付けになる。そんな月が私だけを愛していると思うと、ぞくぞくと幸せが湧いてきた。
雪の積もった街を歩くのに、月は薄着な私を気遣って手を繋いでくれる。肩を抱き、足元に気をつけてと私を雪から守ってくれる。
寒さで枯れたりしないのかと心配だったが、全くの杞憂だった。
月は人間だ。植物から人間になったのだ。ああ、わたしの全て。月はわたしの全てだった。
月には外の世界のこともはなしてあるが、本物が珍しい様で良く寄り道をした。
あれがほしい、これが可愛いと色々言うので片っ端から買ってやった。
「エル、散財させてごめんね」
「こう見えても私結構なお金持ちですよ」
笑うと、そうだったね、と月も笑う。
その笑顔に顔がぼっと熱くなった。月はあまりにも魅力的だった。
それからというもの、私は月を愛しているけれど、胸が痛くなるような思いをするようになった。
月の事を考えると胸がきゅうきゅうとなる。
私は恋愛経験は全く無いけれど、これが恋というものかもしれないと自覚した。
家族のような愛情が、恋に変わる。
それは私にとって劇的で、恐ろしいことだった。
……だって月も私を家族のように慕っているだけかもしれないから。
私は月の様に美しくない。
万年はびこった隈がくっきりと顔にはりつき、髪も月の様に太陽で金に透ける茶色でもなく真っ黒で、猫背で背中が丸かった。
がりがりのやせっぽちで性的魅力など何処にもないだろう。しかも私も月も男性だ。
初恋は実らないと巷ではよく言われるが、本当にそうかもしれないと思って私はその事実に怯えた。
きっと月には誘惑が多い。私はもうなるべく外に出ないようにしようと心に決めた。月は外を見たいようだったけれど、私の望むことならと文句ひとつ言わなかった。
……ああ、この感情が醜く変化して、月の自由を奪ったりして、それで恋破れてしまったらどうしよう。わたしは月を外に出さないと決めた癖に、そんな事まで心配するようになった。
そう、私は性的な存在として月を見るようになってしまったのだ。
こんな私を月はどう思うだろうか。愛していると言ってくれているけれど、それは世話をしている私への恩情ではないだろうか……。
「月くん……月くん……」
私は月の居ないときにこっそりと物心付いてから初めての涙を流した。

月とは寝食を共にしていた。
同じキングサイズのベッドで今までぽつんと眠っていたが、月が私より若干高い体温で私を包んでくれるようになり、私のベッドは最上の場所となった。
私をくるみ込む様にして月は眠る。まるであの花の蕾のように、私の身体をそっと包むのだ。
ああ、月が私を愛してくれているなら……このまま抱かれても構わない。美しい月が私をそういう意味で愛してくれているのなら私は何をされたって構わないのだ。
「エル……眠ろう?今日はなんのお話をしてくれるの?」
くすと笑う月に、私はもう切羽詰まった心地で、
「では哀れな男の話をしましょう」
と答えた。月は楽しそうに私の話し出すのを待っていた。
「あるところに大きな球根を育てる子供がおりました」
これは私の物語だ。
「何年も何年もその球根を大事にし、葉が出てくると大喜びしました。ぐんぐん大きくなる葉に虫が付かないように念入りにチェックして、水をやり、肥料をやりました」
「……」
月は黙って聞いていた。
「十七年経ったある晩のこと、その植物はさわりさわりと葉を広げ、中から素晴らしい美青年が出てきました」
月はそっと私の体を抱きしめた。
「しかしどうしたことでしょう。それまで愛していた植物が余りにも美しく聡明だったので、彼はすっかり夢中になり、恋をしてしまいました」
「……エル……」
涙声になりながら
「かなわぬ恋と知りながら、優しい美青年に男は甘え、渇望しました」
「……エル……エル……」
「子供は大人になり、初めて恋いを知りました。叶わぬ恋を……だってその青年は家族だったからです……」
最後はしゃくりあげながら月に私は告白した。
月はしばらく黙っていたけれど、不意に私をぎゅうと強く抱きしめた。
「ねえ……その話には足りないところがあるよ」
「――――え?」
ぎゅうと強く抱きしめられながら、私に月はこう続けた。「その青年は長いこと蕾の中におりました。中からずっとずっと世話をしてくれる少年の姿をみておりました」
今度は月の物語だった。
「……月くん」
「青年は早く大きくなりたいと渇望しました。それは感謝の念だったのかもしれませんが、とにかく青年は間違いなく少年を愛していました。早く人間の姿になりたい。ずっと優しく話しかける声を聞き、何度も返事をしたいと心から願いました」
月が私の髪をなでる。
「ある晩ようやく葉が開き、青年は外に出ることができました。初めて肉眼でみた世話をしてくれた彼に、青年は一目惚れしてしまいました。叶わぬ恋としりながら、慕情に胸焦がしたのです」
「月くん……」
月は話し終わると、うっすら頬を染めて、
「僕はずっとエルに恋していたよ……長いこと」
「らいと、……くん」
月の光に照らされて、二人はゆっくりと口付けし、そしてベッドで重なり合った。
二人の思いは通じていた。
初めての口付けに初めての性交、それはお互いそうであったけれど、拙くとも私は歓喜に震えて感じ入った。
少年の恋は破れなかった。むしろ最上の形で成就していた。
月もありったけの優しさと熱っぽさで私を抱きしめ、愛撫した。
月の熱いものが私の中に潜り込むと、私は気持ちよさの余りに絶叫し、何度も何度も、二人果てるまで抱き合った。

それからというもの、月と私は外出も恐れることなく、普通の人間同士の恋人として幸せに暮らした。
ああ、私の美しい月。私の絶対の存在。そして月にとっての絶対の存在である私。これ以上望むものなど何も何処にもない。お互いだけが全てで完璧だった。

ああ、私のうつくしい人よ。恋いこがれよ。これからもずっと……。





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