うつくしいひと L





この街には不思議で不穏な界隈がある。
そこに住む人々はみな偏屈で近寄りがたいとの噂だった。
またそこに子供のうちから入り込むと、二度と抜け出せないとの噂もあり、子供心になんだか怖いな、と思ったのを覚えている。
しかしそれも僕が子供の頃なだけで、今立派な社会人として警察官になった僕には魔屈ではあったけれどただの電灯の少ない街の一角にすぎなかった。
しかし子供の頃の刷り込みというのはなかなかなもので、その側を通って自宅に帰るのは毎度少し不穏な気分になるのは間違いなかった。
そんな自分がいやでたまらなかったので、僕は休みの日に散策してみようと心に決めた。
ただの暗い町並みなだけと正体を暴いてしまえば、このじわりとくる恐怖感も克服できると踏んだからだ。

街がハロウィンだとかで浮かれる午後、僕はその界隈に足を踏み入れた。昼間でもなんだか暗い雰囲気を湛えたその街は、やはり不穏で妙に恐ろしかった。
急に髪のぼさぼさな老婆が小銭を恵んでくれと頼んできたり、あきらかなバッタ物を売ろうと声をかけてくるおやじが居たりして、なんだか僕はいやな気分になった。
もう少し見回ったら帰ろう、と思ったとき、一件のアンティークを扱う店を見つけた。
どうせ偽物だろうけれど、その店だけは小綺麗で入りやすそうに見えた。
ドアを開けると心地よい鈴の音がカランカランと鳴った。と同時に奥から店主であろう老紳士が姿を現した。
黒いスーツのズボンに上は白いシャツ。ネクタイを締めアームバンドをしていた。何でも見抜いてしまいそうな緑色の目をしていて、僕はとっさに日本人ではないと見抜いた。
「いらっしゃいませ」
流暢な日本語で、なまりは少しもなかった。
「……こんにちは」
慇懃に頭を垂れる老紳士に、僕は若干気圧されて挨拶だけした。
「今日は何かお探しで?」
「いえ、ただの散歩ですが……素敵な店構えでしたのでつい」
「それはありがとうございます」
店を見渡すと小綺麗だが様々なものが置いてあるのに気付く。全くなんの店か分からなかった。
「なんのお店なんですか?」
僕が思った通りのことをいうと、
「ここは色々な作家の一点物や舶来品を扱う店でございます」
「へえ……そうなんですか」
そういわれてみるとそんな気がしてくる。不思議な力をもつ老紳士だった。
その老紳士が、じっと僕を見つめている。
「お客様、お名前はなんと?」
「僕ですか?僕は夜神月と言います。夜の神に月と書いてライトと読みます。変わった名前でしょう?」
「素敵なお名前ですね」
緑色の目が若干きらめいて見えた。
「では月さま、奥の倉庫をご覧になりませんか?」
「え、いいんですか?」
老紳士の誘いに急に好奇心が沸いてくる。
「かまいませんとも。貴方ならもしかして……」
「え?」
「ささ、奥へどうぞ」
老紳士の言葉が聞き取れなかったのを制し、彼が店の奥に消えるのにふらふらと付いていった。
奥の倉庫は店と違って若干埃っぽかったが不思議なものが沢山置いてあった。虹色の泡がくるくる回る水槽やら、値の張りそうな装飾品……店舗から見て意外なほど広い倉庫のおくに、人形の一角があった。
色々な人形があった。カールした髪がチャーミングなフランス人形や、布で切り張りしたオブジェのような人型、本当に沢山、様々な人形があった。そしてその中に埋もれているはずなのに一際目を引く何でできているのかわからない、まるで死体のような黒髪のやせっぽちな大きな人形があった。僕の視線はその人形に吸い込まれてしまった。
「あの……この人形は?」
「気になりますか?」
「はい……なんだか生きているようで……」
「エルと申します、私が丹誠込めて作った一点物です。貴方なら、見つけてくださると思いまして……」
「見つける?」
「はい、この人形を見つけた方に、よければ差し上げようと思っておりました」
いきなり差し上げるだなんて言われても困る。
けれどどうしようもなく魅力的な人形だった。
黒髪に細い体、真っ白な肢体。男性のその人形は、今にもか細い声で月くん、と僕の名を呼びそうな気がしたからだ。
「本当に……くださるんですか?お代は?」
「お代は結構です。見つけてくださることが一番大事なことなのですから」
と、不思議な事を言った。
「あの、じゃあお言葉に甘えていいですか」
「もちろんです。重いし大きいので今日中にお宅に届けさせましょう。ご住所を伺っていいですか」
話はとんとん拍子に進み、僕があっけに取られている間にその人形のオーナーになる事が決まってしまった。

夕方には届けましょうと老紳士が言ったので、先に部屋に帰って人形の置き場所を作っていた。裸の人形だったので、母が送ってきたサイズの合わないデニムとTシャツを用意しておいた。下着はさすがに要らないだろう。今度サイズを測って買ってやろうと思いながら。
人形がくるまでそわそわした。早く届かないかと短い時間がひどく長く感じられた。
部屋の呼び鈴が鳴ったとき、僕は喜び勇んで扉をあけた。大きな包みに、壊れ物注意の札がしっかり貼ってある。二人がかりで届けられた人形を入口においてもらい、僕は判子を押した。
厳重に封をされ、クッション材で包まれた男性体、エルはやはり今にも動き出しそうなほど精巧に作られていた。
関節は球体で曲げのばしもできる。その上から薄い膜がはってあり、まるで人間そのものだった。
ただ分かるのは、この人形の目が閉じていること、そして体温がないこと位だった。
僕はエルにやっとのことで服を着せ、部屋の隅のソファに寝かせた。そうするとうたた寝でもしているかのようで胸がどきどきとした。
「エル……エル……今日から二人暮らしだね。僕は月。お前のパートナーだよ」
くすくす笑いながらそういうと、髪がさらさらと動いて返事をしているかのようだった。僕はそれで満足だった。
誰が好んでこんな人形を……と思う風貌のエルに、僕は櫛を入れて肌を磨いた。目の下に入れられた隈がどういう意味だか分からないけれど、そっと肌を拭ってきれいにしてやると、汚れも埃もなくなり完全に人間そのものに見えた。綺麗になったエルは今までよりぐんと魅力的になり、僕は大層満足してエルの髪をしばらく梳いていた。

「エル、留守番を頼むね」
そう言って仕事場に向かう。僕はいつの間にかエルにぞっこんになっていた。
なるべく遅く仕事場へ向かい、なるべく早く家に帰る。おかげで夜神に女が出来たと噂されたが、にたようなものかもしれないと思って反論も特にしなかった。僕は一秒でも長くエルと一緒に居たかった。それがどうしてだか分からないけれど、人形のエルと僕は必ず何かの絆で結ばれているように感じたのだ。
僕はエルが愛しくて愛しくてたまらなくて、誰にも見られていないのをいいことに、エルの唇にそっとキスをした。
ふに、と柔らかい感触がすることもなく硬質な感触だったけれど僕は満足だった。
なんだか胸がドキドキしてしまった。

異変があったのはそれから三日後。
エルの体を拭いていたとき、エルが下着を身につけていた。まあいいかと放っておいた下着を、エルが付けている。どう言うことなのか分からず僕は混乱した。穿かせたのだろうか。いつ、どこで?
僕はきっとエルのことだから気が付かないうちにエルを磨いた後に穿かせたのだろうと思うことにした。
さらにそれから二日後、来客用のシュガーポットが取り出されて中が空っぽになっていた。
……空き巣にでもあったのだろうか?こればかりは僕も理解しかねてぼそっとつぶやいた。
「エル、食べちゃったの?」
なんとなく言っただけだったのに、僕の背後から
「はい、食べてしまいました」
と返事があったので驚いて振り向いた。
そこにはソファに寝そべっておらず、両足を抱えて座っているエルの姿があった。
「……エル!?」
「はい、そうですよ、月くん」
「エル?エルなの?」
「そうですよ、月くん」
ずっと閉じられていた瞳がぱっちりと開き、そこから黄泉への奈落を思わせる漆黒の目が僕を捉えていた。
真っ白だった唇に微妙に朱がさし、柔らかそうににこりと笑った。
僕は驚きを通り越して感激し、エルの元へと駆け寄った。
「エル、エル!」
「はい、月くん」
僕は感極まってエルを抱きしめる。するとふんわりと柔らかく、肌が暖かかった。拭いたときはまだ冷たかったのに。
「エル、どうして?」
一端身体を離してエルに問う。
「ふふ、お姫様は王子様の口付けで目覚めるものです」
「え……」
「月くんのキスで、私は永い眠りから目覚めました」
思い出してぼっと頬が熱くなる気がした。
僕はすっかりエルに恋してしまっていたことを、エルは全て見ていたのだ。
「でも……どうして?」
「何年も前に、悪い魔女に私は呪いをかけられました。魔女をほふった後、私は呪いの力で人形になってしまいました。誰か本当に人形の私を愛してくれる人が現れない限り、お前は二度と人間には戻れない、と」
おとぎ話のようでしょう?と小首を傾げてみせるが、僕は実際に人間のエルと人形のエルを知っている。もし入れ替わったんだとしても、僕はエルがそこに居てくれればそれで構わなかったし、何より直感がその話を本当だと知らせている。僕は幸せと同時に不安を感じた。
「エル……僕は……お前を愛しているけれど……お前はもう人間なんだ。何処へでも行ける」
「はい、そうですね」
「だから帰る家があるんだろう?あの店とか」
「ああ、ワタリには顔を合わせる必要がありますが……」
「うん……」
「貴方が私に口付けしたのは五日前です。驚かせたくて黙っていましたが、どうしても空腹でエネルギーが足りなく、砂糖は食べてしまいました。お陰で体温も取り戻せました」
照れ笑うような仕草をするのにどうしようもなく愛情がこみ上げてくる。
「じゃあ……、じゃあ、エル」
「月くん、私は望んでここにいると言うことです」
「エル!」
もう一度抱きしめて、今度は柔らかい唇にキスをした。
「またキスしたら人形に戻る……なんてことは」
「ありませんよ、月くん」
くすくす笑うエルが可愛らしい。
「月くん、大事にしてくださってありがとうございます。私、貴方を愛しています」
「うん、うん、エル……僕も愛してるよ……」
涙が出そうなのをこらえて鼻を啜り、僕はエルの頸にぎゅうっとしがみついた。
今まで誰も愛していなかった事に今になって気付いた。僕は最上の形で愛を知った。
「エル……愛してる」
「はい、私もです、月くん」
もう一度キスをして、エルににっこりと微笑む。
エルは頬を染めて、
「……でも、下着は穿かせて下さいね」
とはぐらかして見せた。
それも愛らしくて、僕は余計にエルが好きになってしまった。
美しい造形、エル。その綺麗な魂が透けて見える気がする。
それからと言うもの、僕とエルが死ぬまで離れることはなかった。幸せな日々、幸せな生き方だった。


ああ、うつくしい人よ、永遠に。湧き水が飲み干せないのと同じように。溢れる愛は止められないのだ。
恋いこがれよ、うつくしい人々。





end