cage
(1)
「竜崎、こちらでよろしいですか」
「ああ、すまない。そこに置いてくれ」
老執事が籠に盛った赤い果実をサイドテーブルに置いた。
つやつやと光る罪の果実。それを誰より愛する黒い姿を横目でちらりと見やる。まだ食べては駄目だと、そういう合図。ワタリと言えど気付かれては面倒だ。
心得たもので、しゃがれた声で解ってるよとげらげら笑う。全く、人間社会にすっかり馴染んでいるのが憎々しい。夜神月の躾なのだろうか。
毛の先ほどにも信じていなかった神なる存在にはじめは驚いたものだったが、私は一時間もしない内にすっかり慣れた。夜神月もきっとそうだったに違いない。そうして今私がしているように好物を与え、飼い慣らしていたに違いない。
嗚呼、こんなものが相手ではとても敵わない。
あの時夜神の行動を完全にマークしていて正解だった。
あの時、というのは、弥拘束直後の事だ。弥を第二のキラ容疑で捕まえたと告げれば、きっと何かしらのアクションを起こすだろうと踏んで、私は密かに夜神月を尾行した。私自ら動いたのはただの気まぐれだ。案の定彼は動いた。弥拘束後ややしてから、夜神が自宅からそう遠くない自然林に包みを埋めるのに遭遇した。
その後、彼は何食わぬ顔で私に監禁を求めた。
ひとまず夜神を拘束・監禁し、彼の様子が一変した七日目をもってあの包みを掘り出しに行った。都合の良いことに私はまだ夜神の行動を誰にも話していなかった。誰にも知られることなく、その包みを我が物に出来た。そう、この老執事に知られることもなく。
私は一人ほくそ笑む。
「時に竜崎」
籠を置いた老紳士が私に尋ねる。
「なんだ」
この件に関しては誰にも触れられたくない。
「林檎、お好きでしたでしょうか?」
やはり目敏い。……というか、長年私に遣えている彼なら気付いて当然だ。いつまでも隠し果せるとは思っていない。けれどまだその時ではない。
「別に好きという訳ではない。向こうで食べていたのはもっと小さくて酸っぱかったのに、日本のが存外旨かっただけだ。そのうち飽きる」
「左様で」
「ああ」
自分で言っておいて白々しい。本来私は自ら林檎の皮を剥くなどという手間はかけない。だからと言って皮ごと食べるほど好きでもないし、丸ごと齧るなど生まれてこの方したこともない。切り分けさせる訳でもなくナイフを添えさせる訳でもない、丸のままの林檎を籠いっぱい用意させている現状は、ワタリにとって訝るのに充分値する。
しかも量が尋常ではない。普段甘味しか口にしない私が一日何個も消費するのだ、ワタリが私に疑問を投げるのは当然だ。
考えてみれば、夜神が消費する林檎に気付いていれば、もっと違う切り口があったかもしれないが。……林檎などに注目しろという方が酷か。
夜神の人となりは今までの監視で何となく想像できるが、果物の好みなどいちいち把握していない。
「他にも色々品種がございますが。用意致しましょうか」
ワタリの言葉に黒い死神が興味を示す。私はどうでもいいのだが手懐けた方が得策だ。
「そうだな、面白そうだ」
「かしこまりました。では」
そう言って辞去する。
完全に扉が閉まるのを確認して再び口を開く。
「もう、いいですよ」
私の言葉が終わりきらない内に、死神が籠に飛び付く。余程好きなのだろう、両手に一つずつ持って交互に頬張っている。私だってケーキがあれば同じようにするかもしれない。流石に手掴みはしないだろうが。死神の名に相応しからぬ、コミカルな動作だ。
『お前はいらないのか』
「アップルパイは好きですが、生の林檎には興味ありません」
『そうなのか、旨いのに勿体ない』
「どうだっていいでしょう?独り占め出来るんですから文句ないはずですが」
そう、どうだっていい。死神の好みなど私の知ったことではない。大切なのは、ここでこの死神を手懐ける事だけだ。もう二度と元の持ち主の元へ飛んで行ったりしないように。あの青年に、二度とこの力を与えたりしないように。
ノートを手にした事で様々な謎が解けた。黒い死神リュークは、私にノートの使い方を説いて見せた。ノートに名前を書けば殺せる事、顔と名前の必要性、死神の特性、死神の目、夜神が実践したノートの応用法の様々など。そして私に新世界の創造を促した。あいつが為そうとした事を、今度はお前がやって見せないか、と。
冗談ではない。私が欲しいのは夜神月自身であって力ではない。
夜神に持ち得なかった力を、私は築き上げた実績の中手にしていた。世界をいきなり変える事は出来ないが、僅かの間でも意のままに動かす事は出来る。退屈なだけの高校生ではない。私にはもっとやるべきことが他にある。
残念な事に、私には法の禁忌という感覚が殆ど無いが、この仕事をしている上で常識的な範囲は認識している。勿論各国の法律は頭に入っている。身につけた訳で無いのが問題ではあるが、それらしく振る舞えばなんら支障は無い。
人を殺すことに躊躇は全くないが、それがいけない事だとは認識している、だから殺さない、という事だ。リュークに聞いた事ではあるが、夜神の様に罪の意識に苛まれてやつれたりする事も無いし、かといって自己の理想を掲げて「裁く」などというおこがましい事を考える訳でもない。
もし私がこのノートを使うような事があるとすれば、それはきっと実験的興味本位だ。ある意味夜神よりも性質が悪いだろう。
そして興味本位に殺すなら、私は誰よりも手に入れたい人間の名前を書く。
勿論、「夜神月」だ。
そんな事は無いと解っているが、彼が私から一切の興味を失くし、私からはるか遠くへ行こうとしているなら……例えば彼が心から望んで弥の物になったり、高田の物になったりするのなら、私は彼を手中に収める為にノートを使う事も厭わないだろう。
彼の生も死も、心も身体も、丸ごと私のものとする。これはその為の便利な道具だ。当然こんなものが無くとも私は迷わず実行する。何の事は無い、彼の心が動くより前に、私がその左胸にナイフを突き立てれば良いだけだ。それがより簡単な方法になっただけの事だ。
そして、彼が死に物狂いで隠そうとした驚異の力とその秘密を、今私は自分の手に収めている。彼が何よりも大事にしていた「秘密」をだ。満足せずにいられようか。彼が何よりも執着したそのものを、今は私が握っているのだ。
彼が何より守りたかった彼の秘密。それを横から奪ってやった。もう私の物だ。
――――嗚呼、ぞくぞくする。
そして貪欲で強欲な私は、彼そのものをも手中にする。
ずっと欲しかった。初めて事件に触れた時から感じた、この独りよがりで頑なな、無垢で幼い精神を。
「L」に向かう、その剥き出しの殺意と執着を、私個人に向けさせてみたかった。
呆れるほど綺麗で真白な思想を、私の色で染めてみたかった。
目の前のモニタの中で憔悴しやつれて行くその横顔に、私の黒く汚れた欲を叩きつけてやりたかった。
初めてまみえた同等の頭脳と才能。そして類い稀なるその美貌。美しい容器に相応しい、輝くばかりの知性。どうしても、私だけのものにしたい。いや、あれは、初めから私だけの為に存在するのだ。
私なら……、いや、私だけが、彼の退屈を拭ってやれるのだ。ノートなどでは無く、私に囚われればいい。彼は私だけの獲物。私は彼だけの供物。これ以上など存在しない、最高のご馳走だ。
今の彼は、ノートにまつわる記憶を一切消している。けれど気付かない無意識の領域で、私の握る秘密を全力で取りかえしにくるに違いない。私が自らの意思でもって手放さない限り、この力は彼の元に動かない。全身でぶつかってくるその情熱を、私は余さず受け止めよう。この秘密を持ち続ける限り、彼を止めることなど出来ないのだ。だから彼の一生は、必ず私に向かってくる。
……私だけの物だ。
けれど私にだってプライドがある。ノートのお陰だと突きつけられる毎日なんて御免だ。彼の執着の矛先を私自身にすり替えてみせるのに努力は惜しまないつもりだ。
様々に疎い私だって気付いたのだ。きっと夜神も間もなく気付く。彼の欠落を埋める事が出来るのは私以外に居ないのだと。せいぜい私は、彼にその事実を認識させるよう振舞うだけだ。
夜神月は新世界の神になるつもりだったとリュークは言った。発想自体はつまらなくない。しかしお前の夢は私の前に潰える。代わりに私が、お前の世界の絶対君主となってやろう。跪いて許しを請え。手に入れたいと涙ながらに掻き口説いてみせろ。お前が私だけだと泣くならば、私もお前だけのものになってやろう。私に何もかも差し出すならば、私もお前に全てをくれてやる。
私とお前が互いに喰らい、喰らわれる。それはメビウスの輪のように、クラインの壺の様に果てしなく、ウロボロスの蛇の様に永遠で完全だ。
眩暈を起こさせるような循環の中で、私たちは夢にまで見た完全無欠を手に入れる。
それだけが、私と夜神とのただ一つの終着点だ。
next