ラブピロウ
講義が終わるのを見計らったみたいに、ポケットに突っ込んでいた携帯電話が振動した。捜査本部関係者と非通知(L関係は非通知が多い)は、捜査協力が決まった段階で直ぐに着信パターンもバイブレーションも変えてあるから、今だって見なくたってキラ捜査関係だと解る。
一応ディスプレイを確認したら父さんの仕事用携帯からで少し拍子抜けしたが、常備してあるメモを出しつつ携帯を操作して、通行の邪魔にならないところに来てから通話ボタンを押す。
「もしもし?うん、僕だけど、何?」
『ああ月、頼みがあるんだが……』
聞こえてくる声は良く知った父のそれで、父さんの名を騙ったLの仕業でもなんでもなかった。
「……うん。うん、……ああ、そうなんだ。 いや来てないよ。ここ暫くみてないな。……え?そうなんだ。解った。じゃぁこれから寄ってみるけど何処……ああ、うん。……二十七階ね、解った。うん、ありがとう。それじゃまた」
要件を手短に話すとさっさと通話を終える。内容はつまらない物だったけれど、一つ用事が増えたのに僕の心は浮き立つ。
僕は校門をくぐるといつも乗る地下鉄と反対方向に足を向けた。
靴の埋もれそうな絨毯を踏みしめて一番奥の部屋に辿り着く。見渡しても左右にドアなんて一つもない。随分前の廊下で一つ見かけたからワンフロア一部屋なんて事は無さそうだが、それにしてもだだっ広かった。
豪華な飾りの付いたドアをコンコンとノックするも応えは無い。よく見たら横にインターフォンならぬ呼び鈴がついていて、押すとキンコンと心地いいベルの音がする。なるほど、これだけ広ければノックが聞こえるはずもない。
たっぷり一分も待ったかという頃、面倒くさそうに「……なんでしょう」と聞きなれた声がして、奥からどろっとした目の流河の顔が現れた。
「……あ……」
僕を認めて驚いたのか、真っ黒な瞳に焦点が合う。
「やぁ久しぶり、流河」
「……夜神くん」
にこっと笑むと、なんとも複雑そうな顔でもごもご何か言いたそうにして、けれど諦めたのかどうぞと扉を開けて僕を招く。
流河が出てきたのが意外だったけれど、室内はガランとして誰もおらず、だから流河が仕方なくドアに立ったのかと計り知れた。
用心のために施錠する流河の首と背中の華奢なラインが目に痛い。父さんが心配していたけれど確かにコレはどうにかしないとなと思う状態ではあった。もともと色は白いようだったが、殆ど陽にあたっていないだろう肌はいっそ青白く、食べているのかいないのか、頚椎の出っ張りが遠目で見ても数えられそうだ。
そう、さっきの大学での電話はこの困った探偵に食べさせるか寝させるかしてくれというキラ対策本部総意の司令だった。ワーカホリックで眠る気配がないLをどうにか寝かせてくれという。誰の言うことも聞かないけれどお前ならもしかして、と父は言った。正直自信はないが頼まれたからにはやるだけだ。
「あの、なにか進展でも?」
施錠を終えて振り向く流河が、パーソナルスペースを侵されて厭だったのか、僕との距離を確認してびくと肩を揺らす。正直そんなの構ってやるつもりもなくて、僕は一層酷くなった隈に指を這わせた。
「お前寝てるのか?」
目を取り囲む黒黒とした隈を指先でなぞる。ひんやりとした体温が気持ちよくて触れたままで居ると、流河が居心地悪そうに身動ぎした。
分かっていたことだが、こいつは触ったり触られたり、要するに接触が苦手だ。瞼と涙堂を辿って頬に触れていると、何が心配なのか小動物のように肩をびくびくさせて警戒していた。そんなに怯えなくなって目潰ししたりなんかしないのに。
「前より酷くなってるぞ」
「これ位普通です」
「そんな訳ないだろ?」
心配してみせても大丈夫だ構うなと取り付く島もないので苦笑する。僕も大概頑固だけれど、こいつも相当酷い。
「お前が倒れたら皆困る。流河は父さんの上司で僕の上司なんだから」
いいから寝てくれと、他の皆も引き合いに出せば情に訴えられるかと踏んだのに「上司」の単語が出た途端面白いくらい口がへの字に曲がった。ふん、とあからさまに鼻を鳴らして不機嫌になりそんな言葉必要ないと一蹴される。……あれ、こいつはもしかして。
流河、と小さく呼びかけるとちらとこちらを流し見して、すぐ不貞腐れたようにそっぽを向く。
……ははぁ。そういうこと。
思わずにやと笑いそうになる。
解りやすく言えばこいつは心配されるのが照れ臭いだけで、本心では多分僕のことが気になって仕方ない、というか、前向きに考えればきっと好意のひとつやふたつ……いや、がっかりしたくないからその辺は変に予測しないほうが懸命だけれども、とりあえず嫌われては居ないようだ。
寝てくれと懇願して聞き入れる素直な性格とは到底思えないので、これは力尽くで寝かすに限る。……が、Lともあろう者が腕力だけでどうにかなるとは思えない。気持ち的にいうことを聞かざるを得ない状態にしなければ寝てくれはしないだろう。
……ここは思い切り濃厚にキスでもして、驚いて腰でも抜かした所をベッドに連れ込む、……とか?
などと考えて思い直す。勝率はあまり高くない。今まで言い寄ってきた女の子ならいざ知らず、この気位の高そうな探偵が僕のキスひとつでフニャフニャになってくれるかというと全くの未知だし、失敗したら山猫みたいに毛を逆立てて今後二度と招かれないということも考えられる。それはあまり良くない結果だった。キスしてみたいのはやまやまだけれども。
ならばさっきは失敗したけれど別のアプローチで情に訴えてみるとするか、と考え、黙りこくったこちらを伺っている流河の長っぽそい両足を思い切り蹴り払う。
悲鳴こそ上げなかったが、大きな目をまんまるに見開いて、静かに驚愕しながら流河が僕の腕の中に落ちてきた。
「何するんです、離して下さい」
顔を真赤に火照らせて仏頂面する流河が堪らなく可愛らしい。じたばたもがいていたところに「落っこちるよ」と耳元で囁いたら途端大人しくなって、僕の首にぎゅうとしがみついてくる。僕同様に男なんだからこんなお姫様抱っこな状況は恥ずかしいし屈辱なのだろうけど、如何せんその辺は欲求に素直なようで、しがみついたきり安心したのか文句を垂れる声もぼそぼそと元気がない。
「もうすぐだから」
「もうすぐって……」
広すぎるスイートルームをずんずん横切って一番奥のドアを目指す。持ち前の器用さを発揮して難なくドアを開けて滑り込み、目の前に現れたやたらとでかいベッドに流河を放り投げる。残像のように見えた流河の表情はさっきと同様驚きに凍りついていたが、マットレスでぼよぼよ跳ねる痩躯を眺めている内に疚しい気持ちがちらと過ぎってマズイと思い直ぐ打ち消した。
危ないとかなんとかぎゃあぎゃあと苦情を述べる口を塞いでしまいたい衝動に駆られながらも、そこはきちんと自制して思い留まる。……けれど、多少の意地悪は許して欲しい。靴とジャケットを放り投げてベッドに乗り上がり流河の身体に覆いかぶさる。近づいて唇まであと五センチの所で息を吹きかけ、流河が慌てて喉を鳴らしたと同時に不意に逸らして細身をぎゅうっと抱きしめてやった。
「なに……するんです……」
びくびくと揺れる肩が何を表現したいかなんて知らない。言葉にならなければわからない事なんていくらでもあるし、ちゃんと形になっていないと怖い、なんて、僕らしくもなく臆病風を吹かせている。曖昧な表現に希望を見出して突進できるほどお目出度くない。
力いっぱい抱き締めるから、冷えた身体に体温を分けるから、お前なんかはやく僕の腕の中で眠ってしまえばいいんだ。そしたらどこまでもどこまでも大事にしてやるのに。
「僕もちょっと寝てこうかな」
「厭です……狭いですよ」
にべもない流河の言葉にも本心なんか何処にもない。それくらいは解る。だからといって好かれているに違いないからこれくらいのスキンシップは当然、とも思わない。大体にしてその辺の前提条件は僕の希望的観測に過ぎない。単に人との接触が少ないから、僕に好奇心を持っているだけかもしれないのだし、第一こいつの中で僕はキラ確定だそうだから。
「離して下さい」
思い出したように身動ぎをする流河の細い身体をいっそう抱きしめて、耳元に囁やくように息を吹き込む。耳が弱いのかふうっとするとへなへなと腕から力が抜けた。
「そう言うなよ徹夜なんだ。寝かせて?」
情に訴えてみようと思ったのは昨夜の事をダシにしようと思っただけで、つまり僕はレポートで徹夜で眠かった。流河はその言葉に少しの間沈黙し悩んでいたようだったが、
「……少しだけ、ですよ」
はあ、と溜息ついて最後は腕の中でやっと大人しくなった。
強引な僕に諦めたのか、眠る覚悟を決めたのか、そうとなったらという体で流河は少し身体を丸めて親指をくちゅとしゃぶる。子どもっぽい仕草が普段のこいつと余りにもギャップがあったけれど、だからこそこいつらしいと思えて不快でも何でもなかった。
布団を被って、華奢な身体をすっぽり腕の中に包み込んで、なるべく静かに優しく語りかける。背中をとんとんと叩きながら、できるだけゆるゆると眠りを誘うように。
「寒くない?体温低いね」「子守唄でも歌おうか?」「流河は本当に細いな、食べてるの?」とろとろと瞼を落とす流河に話しかけると首を動かすだけで返事をする。最初ははっきり反応していたのが徐々に緩やかになり、最後は聞こえているかどうかも定かでは無くなってきた。
「流河、眠くなってきた?……流河。……りゅうが」
「……ん……」
辛うじて鼻にかかった声が抜けるだけで、ずるずると全身から力が抜けていく。心なしか先程より体温も上がったみたいで、眠ると温かくなる子供の様で愛らしいとさえ思った。
「……お前、あったかいね」
笑んで髪に鼻を埋めると、意外にもとても上品な白い花を思わせる香りが鼻孔をくすぐる。寝るのは嫌いでも風呂は好きなんだろうなと可笑しく思いつつ、眠り込んだ流河の痩せた額にキスをして僕もゆっくり目を閉じた。
はっと目を開けると当たりはすでに真っ暗だった。
カーテンすら閉めていない窓の外には見事な夜景が広がっている。しまった、家に連絡もしていないけれど今何時だろう。眠ったままの流河の背に回した左腕をそっと持ち上げる。オメガの夜光インデックスに目を凝らし、まだ零時を過ぎていないのを確認して安堵した。まだ終電に間に合うはずだ。
腕の中ですぴすぴと寝息を立てている名探偵に苦笑する。あれだけ警戒しておいてよく眠れるものだ。……なんて、それが少し嬉しかったりするのだけれど。
しっかり下敷きになって既に感覚もろくにない右腕をじりじり引きぬく。と、目が覚めたのかシャツの胸元をぎゅうと引っ張ってきた。
「あ、流河起きた? 流河、流河、ごめんね。もう帰らないといけないんだ……ああ、そんなに引っ張ったら伸びるよ服が。そろそろ離してくれるかな……」
呼べば直ぐあのギョロ目が現れるかと思ったのに、流河の隈取りされた大きな目はピッタリ閉じたままで、僕の声が聞こえているのかいないのか、むずむずと顔を顰めるばかりだ。僕が腕を抜こうとすると昼間のように口をへの字に曲げるので思わず言い訳する。
「あ、いや、この体勢が嫌なんじゃないよ、このままでも構わないんだけど。でも帰れないだろ?連れて帰っちゃうよ、いいの?僕んとこ来る?妹に紹介するよ」
取り繕った言葉に流河がほんの少し笑んだ気がして、「え?来るの?あはは、それもいいね」などと軽口を叩くも時間はジリジリと迫っている。あと三十分以内にホームに着いていなければアウトだ。
「流河、ごめん、ほんとに離してくれるかな……」
「…………がみ、く…………」
「――――え?」
起きたのかとよく見れば、流河の棒きれみたいな腕が伸びてきて僕の首に絡む。
「ぁ、む……」
ぱかっと口を開けた流河に耳をかじられそうになって、一瞬の内に僕の理性はぐらついた。けれど、続いた言葉に吹き出しそうになって苦笑と共に流河の髪をぽんぽんと撫でる。
「いいよ、わかったわかった」
笑って髪を梳いてやると安心したのかまたすうすうと寝息を立てる。表情なんか無さそうな流河が、今ほんの少し笑ったような気がした。
寝室のドアを出たらそこも暗く、ダウンライトが灯されたのみだったので驚いてしまった。てっきり捜査員の面々が忙しくしていると思っていたのに誰もおらず、代わりにテーブルにちょこんと置かれたメモを見て納得する。そこには『竜崎を起こすわけには行かないので別室に居ます』とあった。別室というのはここへ来る途中で見たもう一つのドアのことだろうか、ともかくここの最上階はLが一人で貸し切っているということなのだろう。
流河の事で頼みたいことがあったのでもうひとつの部屋に向かおうと思い顔を上げると、入口のところに品の良い黒スーツ姿の老紳士が立っていた。
「良くお休みになれましたか」
「……ええと?」
突然の言葉にぽかんとしていると、驚かせてしまいましたかと謝罪の後に、「竜崎の執事のようなものと思って頂ければ」と彼は言った。Lともなると召使い……という言い方はどうかと思うけれど、そういうポジションの人間もいるのだろう。考えてみれば当然だ、あの流河に自分の面倒を見る脳力があるとは到底思えなかった。
「そうですか、どうも。……ああ、そうだ、お願いがあるんですが」
こういう人が居るなら下手に捜査員に任せるより余程安心で確実だ。僕はさっき誰か捕まえて頼もうと思っていたことをこの老人に切り出した。
「なんなりと」
「さっきこいつアップルパイが食べたいって……生クリームたっぷり添えてって。出来れば起きた頃に食べさせてやりたいんですが……僕はもう帰らなくてはいけなくて」
実は正確には”あぷい”と”クリーム”だったが多分合っているはずだ。間違っていない事を祈るけれど、実際間違っていた所でめざましのスイーツがあればあいつは喜ぶに違いないのだ。アップルパイに生クリームを添える感覚が解らなかったけれど、多分流河にとっては美味しい組み合わせなのだろう。
「わかりました、お任せ下さい」
老人ははっきり頷くと目を細めて寝室のドアを見る。その眼差しがなんだか父親みたいで少し僕はどきりとしたけれど、流河を愛しく思う気持ちは僕なりに理解できるので任せて大丈夫だと安堵した。
「あの、僕からとは……」
なんとなくきまり悪くてそんな事を切り出す。彼はおや?と眉を上げたけれど、ゆったりとした微笑で
「大丈夫ですよ、黙っておきます」
と頷いてくれた。
ああ、こうしてはいられない、もう終電が近い。
では失礼しますと一礼して部屋の出口に向かう。ジャケットに袖を通して鞄を提げ、もう一度振り返った。
「あの、生クリームは……」
「たっぷり、ですね」
そう、そこは外せないのだ。流河が望むのだから叶えてやらなくてはならない。
「はい。お願いします」
頼みますと返事して今度こそスイートルームを後にする。
下降するエレベータの中で、父からの任務は果たせただろうか、自分ばかりいい目見ていないだろうかと反芻した。
どちらにせよ流河が睡眠を取ったのだからこれでいいのだろう。足繁く通って寝かしつければあいつの隈も薄くなるし、父さんたちの心労も軽減できるかもしれないな、と考え、次は流河の徹夜明けの三日後あたりかな、なんて一人頭の中でスケジュール帳を広げる。
流河の部屋を思い起こすとさっきの老紳士が流河の世話を焼きながらケーキの話をする場面が浮かんでくる。流河と二人小さく笑いあう場面を想像して、僕も釣られるようにして口角をすこしだけ持ち上げた。
end
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※このSSは、2012年HARUコミ発行のオフ本「シュガーネスト」の一部分を月視点で書いたものです。
ストーリーには関係ない部分ですのでどちらも単体で読めますが
本をお持ちの場合は別角度という事でお楽しみ頂ければ幸いです。